最高裁判所第一小法廷 昭和34年(オ)1228号 判決 1964年1月28日
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人西阪幸雄の上告理由第一、二点について。
原判決の確定した事実によれば、本件約束手形二通は、いずれも上告人が訴外須佐耐火鉱業株式会社(以下須佐耐火と略称する)に対し金三〇万円の運転資金を融資することを約し、その支払にかえて振出したものであつて、須佐耐火はこれを当時同会社の取締役であつた被上告人に裏書譲渡して、同人から右約束手形の額面と同額の金三〇万円の融資を受けたというのである。
所論は、被上告人と須佐耐火との間の右手形行為は、取締役と会社との間の取引に該当し、商法二六五条により取締役会の承認を得なければならぬに拘らず、被上告人はその承認を得なかつたから無効である旨主張するが、商法二六五条は、取締役が会社と取引をする場合、会社利益の犠牲において私利を営もうとするのを防止して会社の利益を保護しようとの目的に出た規定であると解されるところ、原判決によれば、被上告人は右取引の際手形額面と同額の現金を融資してこれを会社に手渡したというのであるから、被上告人は右取引によつて少しの利得をもしていないばかりでなく、会社もまたそれによつてなんらの犠牲をも払つていないことが明らかである。
このような事実関係の下では、被上告人と右会社との間の右取引には、なんらの弊害をもみられないから、右取引は商法二六五条にいう取引には該当しないものと解するのが相当である。したがつて、たとえこれにつき取締役会の承認を得なかつたとしても、直ちに以て無効とすべきではない。以上のとおりであるから、原判決が、被上告人の本訴請求を容認したのは結局において正当であり、論旨は採るを得ない。所論引用の各判例は、事案を異にして本件に適切でない。
同第三点について。
しかし、所論原審の事実認定は、本件証拠関係に徴し首肯し得なくはない。また裁判所は当事者間の申し出た証拠をすべて必ず取り調べなければならぬわけのものではないから、それが唯一の証拠でないかぎり、これを取り調べなかつたからといつて、所論違法ありということはできない。
よつて、民訴三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官斉藤朔郎の補足意見、同下飯坂潤夫の意見を除き、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
裁判官斉藤朔郎の補足意見は、次のとおりである。
一、原判決の確定するところによると、訴外須佐耐火鉱業株式会社(以下単に須佐耐火という)は上告会社が国鉄に納入すべき耐火煉瓦を上告会社に売り渡していたが、資金不足のため現品の納入が意の如くにならなかつたので、これが履行を促進するため新規注文に対する前渡金名義で、上告会社から須佐耐火にさらに金三〇万円の運転資金(または輸血資金)を融資することとし、その支払に代えて本件二通の約束手形が振り出され、須佐耐火は右手形を被上告人に裏書譲渡して、同人から額面相当の金三〇万円の融資を受けたというのである。果して然らば、本件手形はいわゆる融通手形の一種であるといわねばならない。ところで、右のような手形を振り出した上告会社は、本来ならば被融通会社である須佐耐火に現金で金三〇万円を融資すべきところを手形をもつて代えたのであるから、被融通会社が他から手形割引の方法で現金を入手した場合には、振出人たる上告会社は自己に代つて融資金を支出した割引者たる被上告人に無条件で手形金を支払うべきものと解するを相当とする。この場合、被融資者を保護するために設けられている商法二六五条の規定を、融通手形の振出人において援用することは許されないものといわねばならない。もしそうでないとするならば、振出人たる上告会社は、一方、割引者たる被上告人に対しては商法二六五条を援用し、他方、受取人たる須佐耐火に対しては融通手形の抗弁を援用して、ついに本件手形について何んらの責任をも負わないことになる。
二、手形の裏書行為が商法二六五条にいう取引に該当するとしても、融通手形の割引を受ける場合には、会社は利得だけして損失を負担しない。すなわち本件では、須佐耐火は被上告人から手形金相当の金三〇万円の融資を受けたというのであるから、無利息で右金員を借用したのと同様であり、しかも融通手形の性質上、手形金は割引者たる被上告人から振出人たる上告会社に請求される筋合いである。蓋し、融通手形が割り引かれたときは、その振出人は割引者またはその後者に対して手形上の債務を履行して、はじめて金銭融通の実を挙げたことになるからである。そして本件においては、原判決の認定しているように、上告会社と須佐耐火との間の金銭融通関係は、将来における耐火煉瓦の売渡しによつて決済されるのであるから、須佐耐火が本件手形を被上告人に裏書しても、手形金相当の融通を受けている以上これによつて実質上何んらの損失をも受けるものではない。
三、上告会社が融通手形を振り出しておきながら、割引者たる被上告人に手形金の支払をしないため、被上告人が須佐耐火に償還義務の履行を請求したとしても、須佐耐火としては先に融資を受けた金三〇万円を返済することは当然の義務である。したがつて本件事案の下において、仮りに、須佐耐火が被上告人またはその後者から手形上の請求を受けてそれに応ぜざるをえなくなつたとしても、それは先に融資を受けた金三〇万円を返済するだけのことであつて、かような正当な債務の履行を目して、会社が損失を蒙る行為ということはできないものと考える。本件の場合、須佐耐火が手形の裏書をすることによつて、原因関係におけるとは別の新たなる債務を負担するのであるから、その債務は抗弁の切断と挙証責任の転換によつて原因関係上の債務よりはるかに厳格な支払義務となるとしても、その手形債務の履行は、ひつきよう、先に融資を受けた金三〇万円の返済をするという当然の義務の履行に外ならないのであつて、本件事案の下において、須佐耐火が抗弁の切断と挙証責任の転換によつて、法律上保護に値する何んらかの利益を失うものとは認められない。
上告理由第一点第二点に関する裁判官下飯坂潤夫の意見は次のとおりである。
原判決の確定した事実は、次のとおりである。
すなわち、
(A)上告会社は訴外須佐耐火鉱業株式会社(以下須佐耐火とのみ略称す)に対し
(一)額面金一五万円、振出日昭和二七年五月九日、満期日同年七月一六日、支払場所株式会社大阪銀行西宮支店、振出地西宮市
(二)額面金一五万円、振出日同年三月二〇日、満期同年六月二〇日、支払場所並びに振出地前同所の約束手形各一通を振出し、右須佐耐火は同年五月二〇日右各手形を被上告人に裏書により譲渡し被上告人は現にその所持人であること、
(B)右裏書人たる須佐耐火は上告会社との間に上告会社が国鉄に納入すべき耐火煉瓦を売渡す契約を締結していたが、資金不足の為め現品の納入が意の如くならず、昭和二七年三月頃には二〇〇万屯に上る未納を生ずるに至つたので、上告会社はこれが履行を促進するため新規注文に対する前渡金名義で上告会社より須佐耐火に金三〇万円の運転資金を融通することとし、その支払に代えて本件手形各一通を振出しこれを須佐耐火に交付し、同会社は該各手形を被上告人に裏書譲渡し、被上告人から本件手形金相当の金三〇万円の融資を受けたこと、
(C)然るに、たまたま被上告人は本件手形の右裏書人であつた須佐耐火の取締役であつたので、右裏書譲渡は商法二六五条にいわゆる取引に該当し取締役会の承認を要すべき筋合であるところ、右承認のあつたことを認めさせる事跡は認められない、云々、というのである。
上叙の事実関係中(C)に関する点は後に述べることとして、まず(B)に関して述べる。上叙(B)の事実によれば、上告人は須佐耐火に金員融通の目的を以て本件手形を振出し、須佐耐火はこれを被上告人に裏書譲渡し被上告人から手形金相当の金員の融通を受けたものであるから、上告人は被上告人に対し本件各手形金の支払義務を免れないものと云わなければならない。けだし上告人は須佐耐火の為め本件手形を換金の目的を以て流通においた以上、これが所持人に対し支払の義務あるを当然とするからである(昭和三一年(オ)第六二二号同三四年七月一四日第三小法廷判決参照)。尤も右の点は本件の争点となつているわけではない。本件においては、専ら、本件手形の裏書譲渡が前示(C)の関係において有効であるか否かが問題となつているのである。思うに、本件手形の所持人である被上告人は須佐耐火に対し償還請求権を有すべきが故に、須佐耐火は被上告人との関係においては全く利害相反する場合もあるであろうから、右裏書譲渡について取締役会の承認を得られない場合には、右裏書譲渡はその効力を生じないものと解するを相当とし、従つて被上告人は須佐耐火に対しては償還請求権を有しないものと云わなければならないであろう。しかし、商法二六五条の法意とするところは、会社の資本維持を図るにあり、同条所定の承認なき行為の無効は会社と当該取締役間の関係において考えれば足り、取締役と会社以外の第三者間の権利関係にまで及ぼす要は毫も存しないと解すべく、そのことは本件手形行為の如きものにあつてはなお更のことである。従つて、右法条に関する限り本件手形所持人たる被上告人は振出人たる上告人に対し本件手形上の権利を主張するについて何ら支障なく、上告人は被上告人に対し手形の文面に従つて手形金支払の義務あるは当然の筋合である。
以上の次第で、原判決は結論において同趣旨に帰し、その立論の過程に上叙と異るところがあつても、右は判決に影響を及ぼすこと明らかな法令に違反するものとは云い難いから、原判決は結局正当と云わざるを得ない。所論は縷々論述するが、ひつきようするに上叙と異る見解に立脚して、原判決を攻撃するものであり、また所論各判例は必ずしも本事案に剴切のものとは認めらず、これを以ては本件を律することは得ないものと考える。
故に所論はすべてその理由がなく、排斥を免れないものと思料する。
(裁判長裁判官 高木常七 裁判官 入江俊郎 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 斉藤朔郎)